小原鉄心
当蔵と縁の深い小原鉄心は、幕末の大垣藩において城代を務め、藩政改革をはじめ多くの事業を行いました。
その中で特筆すべきことは、幕末から維新にかけて、大変難しい判断を求められた大垣藩の藩論を統一し、若き藩主を助けて動いたことです。
大垣藩は、徳川幕府の譜代大名として重要な地位にあり、尚且つ、東海道、中仙道の最重要地点として、彦根の井伊藩、桑名の松平藩と共に、西への守りの拠点となっていました。
また、会津の松平容保が京都守護職を命じられた際、同様に京都の警護に就きました。
慶応3年から始まった大政奉還の流れの中で、大垣藩をはじめ、多くの藩が判断に迷う状況にありました。
鉄心は幕末に名をはせた多くの文化人との交流があり、それ等の人々との会話の中から時代を読む力を蓄えていました。
慶応4年1月3日に鳥羽伏見戦が起き、その戦闘に巻き込まれた大垣藩は、結果的に朝敵と見なされます。
大垣藩は、その疑いを晴らすために、小原鉄心が中心となって、勤王のために尽力を尽くさねばならないという決定を下しました。その後、会津征伐の先方を命ぜられることになるのですが、若いお殿様に代わり、地方の大名家の運命を作用する重大な藩論をまとめた功績は高く評価されています。
この機会に、企画展「小原鉄心~幕末・維新期の大垣の導き手~」が開かれているむすびの地記念館に、是非お立ち寄りください。
企画展「小原鉄心~幕末・維新期の大垣の導き手~」
平成28年7月16日(土)~8月28日(日)
奥の細道むすびの地記念館(岐阜県大垣市船町2丁目26番地1)